映画が気付かせてくれる、“当たり前”の枠組み——映像やストーリーを通じて、私たちが何者かを知っていく
異文化コミュニケーション学部異文化コミュニケーション学科 李 香鎮 教授
2017/01/20
研究活動と教授陣
OVERVIEW
映画は私たちにとって身近なエンターテインメントだ。
しかし、映画は娯楽の顔を持つとともに、作られた国の社会状況や時代背景、作り手の価値観が深く刻み込まれている。
李香鎮(イ・ヒャンジン)教授はそれらを注意深く観察して見つけ出し、そこに現れる多様な文化の姿を研究している。
研究の概要
映画における文化の違いを見つめ、解き明かす。
映画に映し出されたアイデンティティーをたどる
李先生は映画を主な研究対象として、民族や国家、ジェンダーやセクシュアリティといった、アイデンティティーの問題を探究している。例えば、日本の映画と韓国の映画を比較し、「女らしさ」「男らしさ」がそれぞれの国でどのように異なっているのか、映像やストーリーに反映されている作り手の価値観——それがどのようなもので、他の映画とどのように違うのか、また、どういった問題があるのか、といったことを読み取り、分析している。
先生が担当する授業では、映画の中の食べ物に焦点を当て、集中的に見ることもあるという。
「メキシコ映画の中に出てくるソウルフードは何か、アメリカ映画ではどうか。何がどう違うかなどを調べます。“食”という文化を比較することで、日本では当たり前とされていることが、実はそうとは限らない、ということに学生は気付いていくのです」
別の授業では、文化や国境を越えて作られた映画を取り上げ、議論する。
「例えば、アカデミー監督賞を受賞している台湾出身のアン・リー監督のいくつかの映画には、台湾からアメリカに移住した家族が登場します。そこで、彼らはアメリカでどうやって生きていて、どんな問題が起こるのか、といったことを探ります。中国を舞台にしたディズニーアニメ『ムーラン』を対象に、アメリカ人にとって中国の文化がどう映っているのかをリサーチすることもあります。映画分析を通して、“文化を超える”とは一体どういうことなのかを勉強していきます」
最近は特に、日本における「ソーシャル・マイノリティ」の存在に強い問題意識を持つ。ソーシャル・マイノリティとは、社会の枠組みや価値観に上手くはまらず、こぼれ落ちてしまう人々。
「日本のことに興味を持つようになったのは、日本での生活が長くなってきて、帰属意識が強くなったからかもしれません。先日の授業では、ドキュメンタリー映画『在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい「オレの心は負けてない」』の製作者を招き、一緒に鑑賞しました。在日韓国人たちに無理やり私たちの価値観を押し付け、国家や国籍で区切ろうとすると、日本・韓国のどちらにもうまく所属できず、社会的に弱いポジションに置かれてしまう。そのことを学生に知ってもらい、どうすればいいかを一緒に考えています」
李先生は映画を主な研究対象として、民族や国家、ジェンダーやセクシュアリティといった、アイデンティティーの問題を探究している。例えば、日本の映画と韓国の映画を比較し、「女らしさ」「男らしさ」がそれぞれの国でどのように異なっているのか、映像やストーリーに反映されている作り手の価値観——それがどのようなもので、他の映画とどのように違うのか、また、どういった問題があるのか、といったことを読み取り、分析している。
先生が担当する授業では、映画の中の食べ物に焦点を当て、集中的に見ることもあるという。
「メキシコ映画の中に出てくるソウルフードは何か、アメリカ映画ではどうか。何がどう違うかなどを調べます。“食”という文化を比較することで、日本では当たり前とされていることが、実はそうとは限らない、ということに学生は気付いていくのです」
別の授業では、文化や国境を越えて作られた映画を取り上げ、議論する。
「例えば、アカデミー監督賞を受賞している台湾出身のアン・リー監督のいくつかの映画には、台湾からアメリカに移住した家族が登場します。そこで、彼らはアメリカでどうやって生きていて、どんな問題が起こるのか、といったことを探ります。中国を舞台にしたディズニーアニメ『ムーラン』を対象に、アメリカ人にとって中国の文化がどう映っているのかをリサーチすることもあります。映画分析を通して、“文化を超える”とは一体どういうことなのかを勉強していきます」
最近は特に、日本における「ソーシャル・マイノリティ」の存在に強い問題意識を持つ。ソーシャル・マイノリティとは、社会の枠組みや価値観に上手くはまらず、こぼれ落ちてしまう人々。
「日本のことに興味を持つようになったのは、日本での生活が長くなってきて、帰属意識が強くなったからかもしれません。先日の授業では、ドキュメンタリー映画『在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい「オレの心は負けてない」』の製作者を招き、一緒に鑑賞しました。在日韓国人たちに無理やり私たちの価値観を押し付け、国家や国籍で区切ろうとすると、日本・韓国のどちらにもうまく所属できず、社会的に弱いポジションに置かれてしまう。そのことを学生に知ってもらい、どうすればいいかを一緒に考えています」
今までの道のり
韓国にルーツを持ち、イギリスで学び、日本で教える。
研究室の書棚にぶら下がっていた、たくさんの映画祭のパスカード
先生は、韓国・釜山生まれ。映画研究の世界に踏み込んだきっかけは北朝鮮映画の存在だった。
「私は1960年代に生まれ、韓国が民主化に向かう激動の時代に育ちました。当時の韓国では、北朝鮮の映画を見ることは好ましくないとされていたのですが、隣の国に興味があったのです」
進学したソウルの延世大学では、「北朝鮮と韓国の映画や舞台芸術の違いについて」社会学的にアプローチをしていたが、当時の恩師の勧めもあり、より専門的に研究をするためにイギリスのリーズ大学へ留学した。
「リーズ大学の博士論文では、“北朝鮮と韓国、それぞれの映画における女性や民族、歴史を比較する”という内容を書きましたが、ちょうどそのタイミングで大ヒットした『シュリ』という韓国映画が追い風になりました」
『シュリ』は、北朝鮮人の女性と、韓国人の男性との悲恋を描いたアクション大作。それまで「北朝鮮=悪」「韓国=善」という硬直した視点しかなかった韓国の映画界に新しい風を吹き込んだ。先生は「運が良かった」と笑うが、2つの国の映画について論じた博士論文が注目を浴び、イギリスのシェフィールド大学で教えることになった。
「私は1960年代に生まれ、韓国が民主化に向かう激動の時代に育ちました。当時の韓国では、北朝鮮の映画を見ることは好ましくないとされていたのですが、隣の国に興味があったのです」
進学したソウルの延世大学では、「北朝鮮と韓国の映画や舞台芸術の違いについて」社会学的にアプローチをしていたが、当時の恩師の勧めもあり、より専門的に研究をするためにイギリスのリーズ大学へ留学した。
「リーズ大学の博士論文では、“北朝鮮と韓国、それぞれの映画における女性や民族、歴史を比較する”という内容を書きましたが、ちょうどそのタイミングで大ヒットした『シュリ』という韓国映画が追い風になりました」
『シュリ』は、北朝鮮人の女性と、韓国人の男性との悲恋を描いたアクション大作。それまで「北朝鮮=悪」「韓国=善」という硬直した視点しかなかった韓国の映画界に新しい風を吹き込んだ。先生は「運が良かった」と笑うが、2つの国の映画について論じた博士論文が注目を浴び、イギリスのシェフィールド大学で教えることになった。
2001年、先生は初めて日本を訪れる。伊丹十三監督の『タンポポ』という映画を研究するため、約3カ月間滞在した。しかし、研究は難航。
「映画を分析するには、その映画の持つ“文化”と“言葉”の両方を深く理解しなければいけません。でも、当時は日本の文化も日本語もよく分からなくて、資料を集めることすら難しかった。日本を深く分析するために、より長期にわたって滞在したいと考えるようになりました」
2003年に再び来日。その際の研究対象は、当時日本でブームになっていた韓流文化だった。毎週のように東京のコリアンタウンの一つ、新大久保に通い、ファンのコミュニティに入り込んだ。フィールドワークで観察対象の行動を記録・分析する“エスノグラフィー”という手法を用いてファンを深く理解しながら、韓流とは一体どういうものなのかを研究した。その結果を2008年に『韓流の社会学—ファンダム、家族、異文化交流』という本にまとめ、日本で出版。それがきっかけとなり、日本の大学で教えることになった。「新しい国、新しい言語で自分の人生にチャレンジしたいという気持ちがあって」とほほ笑む。
「映画を分析するには、その映画の持つ“文化”と“言葉”の両方を深く理解しなければいけません。でも、当時は日本の文化も日本語もよく分からなくて、資料を集めることすら難しかった。日本を深く分析するために、より長期にわたって滞在したいと考えるようになりました」
2003年に再び来日。その際の研究対象は、当時日本でブームになっていた韓流文化だった。毎週のように東京のコリアンタウンの一つ、新大久保に通い、ファンのコミュニティに入り込んだ。フィールドワークで観察対象の行動を記録・分析する“エスノグラフィー”という手法を用いてファンを深く理解しながら、韓流とは一体どういうものなのかを研究した。その結果を2008年に『韓流の社会学—ファンダム、家族、異文化交流』という本にまとめ、日本で出版。それがきっかけとなり、日本の大学で教えることになった。「新しい国、新しい言語で自分の人生にチャレンジしたいという気持ちがあって」とほほ笑む。
日本で出版された書籍『韓流の社会学—ファンダム、家族、異文化交流』
3つの文化をまたぐことのできる強み
先生の強みは、韓国、イギリス、日本、3つの言語と文化を経験していることだ。東アジア全体の映画に詳しく、かつ、イギリスなど英語圏の動向も熟知しているので、カンヌやベルリンなど名だたる国際映画祭に毎年招かれている。
映画祭への参加は、「映画」という研究資料を集め、知見を深める最も重要な場でもある。
「現地では、インディペンデント映画から商業映画まで40〜50本の新作映画を見ます。なかなか訪れることのないアフリカや中東、南アメリカ、インドネシアやフィリピンなどの映画はより多く見るようにしています」
また、映画祭では日本映画について見解を求められることもあり、「“日本の映画は今これが評判”、といった動向をレポートし、イギリスの映画協会に提供したりもします」と話す。
先生の強みは、韓国、イギリス、日本、3つの言語と文化を経験していることだ。東アジア全体の映画に詳しく、かつ、イギリスなど英語圏の動向も熟知しているので、カンヌやベルリンなど名だたる国際映画祭に毎年招かれている。
映画祭への参加は、「映画」という研究資料を集め、知見を深める最も重要な場でもある。
「現地では、インディペンデント映画から商業映画まで40〜50本の新作映画を見ます。なかなか訪れることのないアフリカや中東、南アメリカ、インドネシアやフィリピンなどの映画はより多く見るようにしています」
また、映画祭では日本映画について見解を求められることもあり、「“日本の映画は今これが評判”、といった動向をレポートし、イギリスの映画協会に提供したりもします」と話す。
今後の展望
映画を通して、誰もが対話できる世界にしていきたい。
ハーバード大学で講演した際の告知チラシ
言葉や文化の垣根を越えて、新しい視点を生み出していく
研究の成果は定期的に学会で発表している。また、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学からの招待を受け、例えば「韓国映画において反共産主義がどう描かれてきたか」や「日本のギャル文化とK-POPのセクシュアリティの違い」といったテーマで講演することも多い。講演のテーマは招待する側の希望に応じて柔軟に組み立てる。そして発表した結果は、学術雑誌や書籍といった形でまとめていく。
また、2000年にイギリスで出版された『Contemporary Korean Cinema』は世界中の大学で教科書として使われ、これまでイタリア語、スペイン語、中国語、韓国語に翻訳されている。待望の日本語訳は2017年刊行される予定だ。
李先生が願っているのは、自分自身の研究を通し、学生と対話を重ねることで、言葉や文化、国の異なる人々が積極的にコミュニケーションを取り、どんなことも共有し合う社会になっていくことだ。理想郷のようだが、そんな関係のあり方を一番体現しているのは、先生自身なのかもしれない。
韓国で育ち、イギリス、日本、それぞれの国に飛び込み、言葉や文化の垣根を越えてきた。そして、これまでに、多種多様な人が交流できる場をいくつも作り出している。イギリス時代は映画祭を運営し、日本でも、映画関係者をゲストに招き、多文化社会について考える映画の上映とシンポジウムを毎年企画している。
先生の研究活動は、さらに続く。
「フィクションが社会でどんな役割を持つのかを知りたいです。例えば北朝鮮について、私たちは映画やテレビなどのフィクションとして作られたイメージでしか理解していません。それには正しいところもそうでないところもある。また、博物館で流れる戦争の解説映像がありますね。あれも一つのフィクションですが、見た人は“戦争とは何か”を理解した気になってしまう。それはとても危険なことだと思うのです」
先生は、1940〜1950年頃に映画製作に携わっていた在日朝鮮人の人々を、約20年前から追いかけ続けている。彼らのことを本にまとめるためだ。
「長らくインタビューを続けてきたのですが、みなさんご高齢なので、できるだけ早く書き上げて読んでいただきたいのです。出版の予定は立っています。あとは私が頑張るだけですね」
研究の成果は定期的に学会で発表している。また、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学からの招待を受け、例えば「韓国映画において反共産主義がどう描かれてきたか」や「日本のギャル文化とK-POPのセクシュアリティの違い」といったテーマで講演することも多い。講演のテーマは招待する側の希望に応じて柔軟に組み立てる。そして発表した結果は、学術雑誌や書籍といった形でまとめていく。
また、2000年にイギリスで出版された『Contemporary Korean Cinema』は世界中の大学で教科書として使われ、これまでイタリア語、スペイン語、中国語、韓国語に翻訳されている。待望の日本語訳は2017年刊行される予定だ。
李先生が願っているのは、自分自身の研究を通し、学生と対話を重ねることで、言葉や文化、国の異なる人々が積極的にコミュニケーションを取り、どんなことも共有し合う社会になっていくことだ。理想郷のようだが、そんな関係のあり方を一番体現しているのは、先生自身なのかもしれない。
韓国で育ち、イギリス、日本、それぞれの国に飛び込み、言葉や文化の垣根を越えてきた。そして、これまでに、多種多様な人が交流できる場をいくつも作り出している。イギリス時代は映画祭を運営し、日本でも、映画関係者をゲストに招き、多文化社会について考える映画の上映とシンポジウムを毎年企画している。
先生の研究活動は、さらに続く。
「フィクションが社会でどんな役割を持つのかを知りたいです。例えば北朝鮮について、私たちは映画やテレビなどのフィクションとして作られたイメージでしか理解していません。それには正しいところもそうでないところもある。また、博物館で流れる戦争の解説映像がありますね。あれも一つのフィクションですが、見た人は“戦争とは何か”を理解した気になってしまう。それはとても危険なことだと思うのです」
先生は、1940〜1950年頃に映画製作に携わっていた在日朝鮮人の人々を、約20年前から追いかけ続けている。彼らのことを本にまとめるためだ。
「長らくインタビューを続けてきたのですが、みなさんご高齢なので、できるだけ早く書き上げて読んでいただきたいのです。出版の予定は立っています。あとは私が頑張るだけですね」
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。
CATEGORY
このカテゴリの他の記事を見る
研究活動と教授陣
2024/10/02
インバウンド観光の今とこれから
観光学部 羽生 冬佳教授
プロフィール
PROFILE
李 香鎮(イ ヒャンジン)/LEE Hyangjin
1992年2月、延世大学校大学院社会学博士課程修了。
1998年11月、リーズ大学社会学コミュニケーション学科博士学位取得。
2000年9月~2008年、英国国立シェフィ-ルド大学東アジア学部教授。
2005年5月〜2007年5月、立教大学経済学部日本学術振興会特別研究員。2008年9月より現職。
専門分野は映画と大衆文化。
2014年9月~2015年9月、ハーバード大学金久招聘教授。
また、これまでに、マドリード自治大学(スペイン)、延世大学校、高麗大学校、梨花女子大学校(全て韓国)、筑波大学大学院、同志社大学、東京大学大学院、早稲田大学大学院などで、客員研究員・客員教授。
主な著書
Contemporary Korean Cinema: Identity, Culture and Politics(2001)Manchester University
『韓流の社会学: ファンダム、家族、異文化交流』(2008)岩波書店
『コリアン・シネマ』(2017)※みすず書房より刊行予定
その他
2000年~ The UK Korean Film Festivalディレクター
2012年~ Transnational Cinema Symposium(立教大学)オーガナイザー
2015年~ Transnational Cinema Study Day(英国)オーガナイザー
としても活動。
研究者情報